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作詞おきば

振り返り 自問自答~寂しくもないまで

こんにちわ

なんつーか詩を書き始めたころと今とで

精度というか... 落ちてるような、でも書きたい事は書けてるような気もしていて

基本的に書くときって、鼻歌うたってたら良さげなメロディが思い浮かんだときか

良い意味でも悪い意味でも精神的に衝撃があったときで

ここ数年は良く言えば情緒が豊か、

悪く言えば感情を制御出来なくなってるというか。

ほんの些細なことでも感動してしまって泣きそうになるし

大きなことなら普通にだだ泣きしてしまうし。

涙ってもっと大事なものだと思うんですけど、

どんどん自分のは安くなっている気がしてならない。

 

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自問自答(2017年)

これを書いたときは前書きの後者、メロが浮かんだから書いたってやつで

Bメロから浮かんだんですけどなんというかそれ以外が蛇足って感じです

四肢と獅子の言葉遊びとかすげーダサい。なんでこんなの書いたんだろうって感じ

しかもオルタナ系の良い意味でのダサさじゃなくて単純にダサい。

それこそピロウズみたいな、曲がそもそも良いよねってならないと

認められるかどうかの天秤にすらかけられない気がする。

ただ浮かんだからには形にしておこうっていうのは

完璧な人間なんてつまらないし、

どこかが欠けているから魅力になる部分もきっとあるし、

っていう自分の価値観と照らしあわせるなら、そう悪いことではない、と思っています

というかいつも書くものを100点満点どころか、120点満点で作ってやろうって

そんなん疲れると思うし、もし疲れ切るの間違いないのにやろうとしてたら、

あらゆることが裏目に出るタイプなんだと思ってます自分のことは

前に書いた泥と水溜まりって詩とか特に、さらさらーっと書いたやつなのに

想定してるメロディも詩自体も個人的に凄く好きで

そういうもんなんだなあって 書いて3年?4年ぐらいたった今になって思います

まぁ大体の詩はさらさらーっと書いてるんですけど、

多少なり悩んだりしたのはだいたい読み返してもダメなパターン多し

ただ困ったことに悩まず気持ちよく良いもの書いたって思った詩は

1番と2番でメロ起こそうとしてみると...

音数どう考えても合わねえっていうのも多いんですけどね

 

pray for me(2017年)

自分の為に祈る、ってタイトルなので

愛がどうとか言ってるけど恋人とかではなくて、

自分をもっと愛そうよってそんな感じの。

Cメロの部分は一人じゃなかったって思い出ばかりだったと捉えてもいいし

ずっと一人だったんだって思い返している風景でもいいし

でもさ、孤独に生きてきたとして、それは悪いことじゃないんだって

memory, see meって詩でも書いたように

過去を認める、っていうことは陳腐な言い方だけど凄く尊いことだと思っていて

これで俺が4、50ぐらい歳を重ねていれば説得力もありそうな気がするんだけど

そのころにはこのブログを読み返して、恥ずかしいもの書いてたなぁとか

思ってたりもするんだろうか...

そうはならないと思ってるけど人の価値観って簡単にぶれるから

きちんと今とか、未来を信じるような、

そういうなんか壮大そうな詩を書いたほうがいいのかもしれない

 

寂しくもない(2016年)

フラれたときにこんな思いしてるやつなんて、ごまんといるよって

そう思おうぜって感じの詩なんですけど

その割に未練たらしいというか。グズグズしてるというか。

煮え切らない、しょうもない感じが誰の共感も得られなさそうで

何かの間違いできちんとした形で曲になって、世に出たとしても

全く売れなさそうで好きです

それと多少なりと鬱っぽいというか、病んでそうな感じなんだけど

あんまり湿っぽくならないようにしたつもりで

なんかそういう感じのはもっと上手に書けるようになりたいな

少し前のは詩の方向性を曲できちんと補完させようって考えてたけど

詩のみでも世界観が伝わるように強固にしていければと個人的には思ってます

今後書くものがそうなるかは知りませんけどね。そういうもんだよね